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毎日の生活を自分らしく、
笑顔で暮らせる手助けをしたい—。

みなさん、こんにちは。院長の小林です。

これまで、急性期病院で救命救急医・循環器内科医として重篤な患者さんの治療にあたり、また医師が少ない地域の病院では総合診療医として、多くの患者さんと接してきました。

救急医療のときでも、日々の総合診療医としての診察においても、目の前の患者さんの命を救うことはもちろん、生命に関わる大事な選択について、ご本人やご家族と一緒に悩み、その方の人生観や家族の想いに寄り添うことを大切にしてきました。

治療方針の決定は、患者さんやご家族のその後の人生に大きな影響を与えるとても責任の重い仕事です。多くの命に関わる選択を患者さんたちと真剣に考えてきた経験をもとに、患者さんの気持ちを理解し、患者さんとそのご家族にとって良い結果につなげられるよう診療方針を提案します。

みなさんが毎日の生活を自分らしく、笑顔で暮らせる手助けをしたい—。

地域のかかりつけ医としてみなさんの日々の悩みを聞き、必要とされれば往診や訪問診療に伺い、患者さんに異変があれば救急医として素早く診断し、総合病院とも連携を取りながら対応しています。

頑張っているお父さんお母さん、大切なおじいちゃんおばあちゃん、元気をくれるお子さん、大切な家族や地域のみなさんを笑顔にするため、これからも患者さん一人ひとりに真剣に向き合い全力で診療にあたります。

院長経歴

院長 医学博士 小林浩之(こばやしひろゆき)

略歴

  • 1992年   岐阜県立岐阜高等学校卒業
  • 1998年   岐阜大学医学部医学科卒業
  • 1998年   岐阜大学医学部附属病院第二内科入局
  • 1999年   岐阜市民病院循環器内科勤務
  • 2001年   国保白鳥病院内科勤務
  • 2003年   岐阜大学医学部附属病院第二内科勤務
  • 2008年   医学博士号取得
  • 2008年   高山赤十字病院循環器内科 副部長職
  • 2009年   岐阜赤十字病院循環器内科 副部長職
  • 2012年   岐阜赤十字病院循環器内科 部長職及び心臓カテーテル検査室室長
  • 2015年   加藤内科クリニック
  • 2023年   加藤内科クリニック 理事長就任

取得資格

  • 日本内科学会認定総合内科専門医(第15092号)
  • 日本内科学会認定内科医(第26233号)
  • 日本循環器学会 認定循環器専門医(第15319号)
  • 日本医師会認定産業医(第0501463号)
  • 日本臨床内科医会認定医(06-21-001号)
  • 介護支援専門員(4918号)

表彰・国際学会・論文

  • 2005年   日本内科医会奨励賞受賞
  • 2005年   日本循環器学会国際交流基金(外山基金)受賞
  • 2005年   アメリカ心臓病学会(シカゴ)発表
  • 2006年   アメリカ心臓病学会(フロリダ)発表
  • 2006年   ヨーロッパ心臓病学会(ウイーン) 発表
  • 2006年   ヨーロッパ心臓病学会(ウイーン) Travel Award受賞
  • 2007年   アメリカ心臓病学会(ニューオーリンズ)発表
  • 2008年   エリスロポイエチンと薬物搬送システムによる心筋再生の研究にて医学博士号取得
  • 2008年 エリスロポイエチンゲルと薬物搬送システムにおける心筋再生について論文発表(Cardiovascular research)
  • 2009年 オキシトシンの心筋血管新生について論文発表 (Journal of cardiovascular pharmacology)

スタッフ紹介

看護師スタッフ
私たち看護師スタッフ一同、明るく笑顔で優しさをもってお手伝いいたします。患者さんが安心して健康の管理や病気の予防・治療に専念できるように、日々のコミュニケーションを大切にしています。些細な事でもお声掛けください。患者さんに寄り添う看護を目指しています。

事務スタッフ
私たち事務スタッフは、患者さんに寄り添い、丁寧にご対応いたします。どんな事でもお気軽にお声掛けください。笑顔でお待ちしております。

クリニック概要

名称医療法人誠和会 加藤内科クリニック
開業1947年(昭和22年)
所在地岐阜県岐阜市金屋町1-18
TEL058-262-0556
診療科目内科診療、女性内科、男性内科、美容内科
代表会長 加藤文朗
理事長・院長 小林浩之
連携病院岐阜大学医学部附属病院
岐阜県総合医療センター
岐阜市民病院
岐阜赤十字病院
朝日大学病院
など

当院の歴史

初代、加藤晴臣は歯科医として1942年(昭和17年)現在の地で開業いたしました。しかし、新築からわずか3年後の1945年(昭和20年)、岐阜空襲により歯科医院は焼失し、また多くの市民が犠牲となりました。

終戦後も、十分な医療器具がなく衛生環境も悪かったため、多くの命が失われていきました。その状況を目の当たりにした加藤晴臣は、何とか自分も力になりたいと医師免許を取得し、医師と歯科医のダブルライセンスを取得するというたいへん立派な人物でした。その後、戦後復興まもない1947年(昭和22年)に自宅の一角を改築し、加藤医院として開設しました。当時は十分な医療器具、薬剤を手に入れるのもまだまだ困難な状況の中、自転車で岐阜市内を駆け回り、患家を診てまわっていたそうです。

加藤晴臣は、岐阜公園にあった動物園などの運営にも携わり、また日仏協会やペタンク競技などの役員、国際アイバンク協会の役員を務めたりと、国際親善交流の懸け橋となり、日々国内外を飛び回っておられました。

そして亡くなる前日まで、病室で英語のラジオ・雑誌にて勉強されていたことを覚えております。

1982年(昭和57年)に、二代目である加藤文朗にバトンタッチをして、名称は「加藤内科クリニック」となりました。現在のような救急医療体制は整っておらず、休日診療所・夜間診療所も整備されていなかったため、昼夜問わず忙しく働いておられました。

非常に勉強熱心であり、家に帰ればテレビなど見る暇もないくらいに医学書を読み込み、家を出れば水泳・ウォーキング・ゴルフなど、とにかく体を動かし、体調維持に努めるというストイックな医師でした。そして80歳過ぎまで、ほぼフルタイムで勤務するスーパードクターでありました。引退した今も元気で過ごしており、現在は良きアドバイザーとして、クリニックを支えていただいております。

2015年(平成27年)に小林浩之が岐阜赤十字病院を退職し、加藤文朗と2診体制にて診療に当たるようになりました。

クリニックの運営を加藤医師から教えていただきながら日々診療に当たり、家庭医(かかりつけ医)とはどうあるべきかを教えていただきました。

そして、2023年(令和5年)加藤医師が引退され、現在は小林浩之が加藤内科クリニック三代目院長として診療に当たっています。

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